Michael Schumacher
- やくに
- 2017年2月28日
- 読了時間: 3分
このサイトを始めるにあたって、これだけは書いておかないとね。
私は2000年から2006年まで、F1ドライバーのミハエル・シューマッハFanサイトを運営しておりました。短い期間ですが、今で言う「バズッたり炎上したり」しながら、それでも踏ん張ったり楽しかったりして、得難い体験をさせて戴いたのであります。
この6年間あまりが、あんまりであんまりな「得難い体験」だったモノですから(笑) その時々で無い頭振り絞って延々と考えて出した答えが、今日のインターネットとの付き合い方の礎になってる。そう言っても過言じゃ無いような、濃いぃぃ日々でした。
なので、今もまだこの様な「個人サイト」を作ってるのも、その当時からの居心地の良さを忘れてなかったりするからなんですけど。サイトを休止状態にした2006年から、また結構な年月(10年だよ10年!!)を経て思うのは、さ。
私はミハエルの居た時代のF1が大好きだ!!!
(そりゃ当然だ、ミハエルが好きなんだからw)
↓
ミハエルの引退した後のF1もそれなりに面白く見ている。
でも、ミハエル居たときほど心血注いで
ネットに貼り付き情報漁ってるかというと、NO。
↓
【結論】ミハエルが居たときが異常な状態で
今の方が正しい距離感でF1を緩く愉しめてる気もするw
という境地に辿り着いた挙げ句。
一度引退した、ミハエル・シューマッハさんに、マッサの怪我により復帰のフラグが立ち、一度そのフラグがバキバキに折られた後→結局復帰して。波瀾万丈の3年間を経て2度目の引退。そして生死の境を彷徨われた後、現世に復帰という…。ジェットコースター並の展開を経て思う事は、ね。
not for me (私向けでは無い)
…って言葉があるじゃ無いですか。
面白く感じなかった、漫画やゲームや映画等を「私向けでは無かった」という、表現。この場合の「私向けでは無かった」には「貴方はその限りでは無い」という意味合いも内包してると思うんだけども。同時にちょっとだけネガティヴなスメルも感じるこの言葉。
これがアリなら、ポジティブな「not for me」的なものもあるのでは無いか?!「これは私の歓びでは無い」「貴方の歓びだ」みたいな???いや、むしろ。【これは私の歓びでもあるが、貴方の歓びだ】かな????
…要するに、だな(`・ω・´)
2016年のF1で、ロズベルグがWチャンプ取ったじゃ無いですか。するともう、私たちは解るんですよ。ミハエルがWチャンプ取ったとき、私たちも嬉しかったから。Wチャンプに相応しい?! 相応しくないだと?!?!! という論争の心の抉り抉られ方も知ってる。引退して、もうレースでF1マシン駆ることが無いのだなという寂しさも、経験済みだ。
常々私は「人間の感情なんて根っこはあまり差異無くて、スポーツに於いて大体は・推しが勝てば嬉しいし、負けたら悲しいし、怪我したりしたら辛いのだ」って言ってるんですけど(笑) これがホント、10年間錬成されたら。
『今のF1はつまらない?!?!!』論争に「今のF1を見て、目を輝かせてる人達は、●年前目を輝かせF1見てた私たちと同じだよ!」「あん時の俺らとさして変わらんなら、そこに優劣を付けてもだな」…と、本気で言えるようになりました。
愉しみは時代と共にリレーされたり、
輪廻したりするものなんだYO。
そう云うことをね、経験則として私に教えてくれたのが、Michael Schumacher。この辺の意味でも、彼には凄く感謝してる。まぁ、ミハエル本体が私にナニをしたと云うことでは無くて、ミハエル見てて勝手に辿り着いてる答えなんだけどもw
本当にね、感謝してるんですよ。
そして勝手に、想い続けるでしょう。
貴方はたくさんの歓びを与えてくれた人なので、ね。
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